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エストニアのクリスマス 

エストニアのクリスマス
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毎年やって来るクリスマス。子供たちだけでなく、大人にとっても楽しみなクリスマス。今年もそろそろやってきます。これから数回に分けて、カタリーナがエストニアのクリスマスをご紹介します。
「夏至祭までには、ああして・・・」、「クリスマスまでには、こうして・・・」とよくエストニアの人々が口ずさんでいるのを聞きます。夏至祭は6月23日ですが、この日は戦勝記念日のため、祝日です。翌日は夏至の日なのでやはりお休みで、うまく週末と繋がると4連休になることがあります。一方、クリスマス休暇は12月24から3日間で、こちらも週末にうまくかかると5連休になることもあります。祝日が少なく、ましてや振り替え休日のないエストニアにとっては、夏至もクリスマスも国民が待ちに待った大事な連休です。これらの行事は一年の半ばと終わりということもあり、物事にケリをつけるにはエストニア人にとって丁度よい節目となっています。

もともと自然崇拝であったエストニア民族は13世紀はじめにデンマーク人やドイツ人に侵略されて以来、キリスト教を信仰するようになりました。16世紀に宗教改革が起こると、プロテスタント・ルター派がエストニアにも波及し、この頃から、この国では以前のカトリックに変わり、プロテスタント・ルター派(ルーテル派)が主な宗教となりました。この国でも根っからのキリスト教徒でない人々にも、クリスマスの習慣がしっかりと定着していて、クリスマスはたいてい家族とともに過ごすのが一般的になっているようです。普段会わない親戚ともクリスマスに再会できます。親戚や友人にクリスマスカードを送り、プレゼントを交換し、クリスマス・ミサに出席する人もいます。

エストニアにはサンタクロースに加え、「päkapikk」(パカピック)という小人の姿をした妖精のアシスタントもいます。サンタさん一人では仕事量が膨大なため、小人の助けを借り、手分けして、冬の忙しい時期を乗り越えます。パカピックが子供たちを見張っていて、その結果をサンタにレポートします。いい子にしている子供たちには、ちゃんとプレゼントが届けられるのです。
店頭に並ぶパカピック商品店頭に並ぶパカピック商品

家族のクリスマス・パーティーでは、毎年、男性陣の中からサンタクロースに立候補する者やまたは推薦されてなる者もいます。ちなみに誰もサンタになりたくない場合、小人のパカピックがピンチヒッターとしてプレゼントを渡す役を引き受けることもできます。プレゼントが欲しい子供は、サンタに一芸を披露する必要があります。歌を歌う、詩を朗読する、その他何でも良いのですが、サンタさんを喜ばせないといけません。たくさんのプレゼントをもらっている子供は、パーティーで何度もサンタに名前が呼ばれ、そのたびに芸を披露しているわけです。このような伝統を毎年繰り返しているため、子供たちには自然とエストニア文化が身についていくのです。

そもそも、クリスマス・ツリーを飾る習慣はどこの国で始まったのか、という議論は今でも尽きません。例えば、ドイツのフライブルク(1419年) 、またはラトヴィアのリガ(1510年) という説もあります。一方では、世界で最も早くクリスマス・ツリーを公式に飾ったのがエストニアであるとエストニア人は言います。1441年、ブラックヘッド・ギルドの組合員がタリン旧市庁舎広場に木を運び、それを燃やしたことからクリスマス・ツリーの伝統が始まったとエストニアでは解釈されているのです。
タリンクリスマスマーケット
ラエコヤ広場で開催されるクリスマスマーケット。
2009年11月29日から、2010年1月7日まで開かれています。


そもそもタリンに置かれていたブラックヘッド・ギルドは、ドイツともラトヴィアとも全く無関係ではなく、歴史上関連があります。かつて、この組織に所属していたのは、ドイツ系の未婚商人たちでした。そんな彼らの仕事にはイベントの企画も含まれていました。

ブラックヘッド・ギルドは黒人の聖マウリティウスを奉っていることに由来します。ブラックヘッド・ギルドハウスはエストニアのタリン旧市街とラトヴィアのリガ旧市街に現存しています。どちらも今では観光名所となり、冬にはコンサートなどのイベント会場として利用されています。
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(注1) クリスマス・ツリーをクリスマスに飾る風習が最初に記録されたのは1419年、ドイツのフライブルクであった。パン職人の信心会が聖霊救貧院にツリーを飾った。1600年代にはドイツ各地で記録が残されている。ベルリンには1800年頃にツリーが伝わっている。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(注2) The city of Riga, Latvia, claims to be home of the first holiday tree; an octagonal plaque in the town square reads "The First New Year's Tree in Riga in 1510", in eight languages. Resouce: Wikipedia, the free encyclopedia.


コメント

エストニアはロシアではない

ツムラーレのモスクワのオフィスには私もロシア旅行でお世話になったことがあり,旅行代理店としては評価してます。でも,ロシア情報と言って,エストニアの話をするのはルール違反ではないでしょうか。もうソ連邦はなくなりました。ロシア帝国はもちろんのこと,インツーリストの時代の「大祖国」へのノスタルジアは,21世紀には似合わないですよ。

Re: エストニアはロシアではない

松村様、貴重なコメントありがとうございます。エストニアを含むバルト三国、その他CISの情報はごく限られており、日本の皆さんに「行ってみたい!」と思える情報を、なんとかしてお届けしたいと立ち上げたブログです。確かに国がそれぞれ独立した今、それらを「ロシア」としてカバーするのは無理がありますね。特に、エストニアに関しては、今後、徐々に弊社の北欧ブログ(準備中)に移行していく計画もあります。今後、まだまだ改良すべき点の多いブログですが、どうぞ今後とも、ご指導のほど、よろしくお願いいたします!

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