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チェーホフ生誕150年、そして ウクライナ(後編) 

チェーホフの足跡を訪ねて/ロシア・ウクライナツアー
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チェーホフ生誕150年、そして ウクライナ(後編)では、皆さんがウクライナにお出かけになる際のご参考になればと思い、「チェーホフの足跡を訪ねて」と称して、
お勧め日程表をご紹介いたします。

1日目
成田発(昼頃)の航空機でモスクワ経由、シンフェローポリ(ウクライナの保養地「クリミアへ」)へ。
宿泊は、ヤルタから8キロほど先の、元ロマノフ家の宮殿 Palmira Palace がお勧め。

2日目
午前中、ヤルタ市内観光。チェーホフの家見学。
昼食は、黒海を望むレストラン、「ツバメの巣」をお勧めします。
ツバメの巣
断崖の上にあるレストラン「ツバメの巣」。

午後は、植物園のような庭園、そして東洋と西洋の建築様式が魅力的な、アループカのヴォロンツォフ宮殿の見学。

夕刻は、クリミアの名産マッサンドラ・ワイン・テイスティング。
マッサンドラ・ワインテイスティング
マッサンドラ・ワインテイスティングでクリミアワインを堪能しましょう


3日目
午前中、ヤルタ会談で知られる旧ニコライ2世家族の別荘見学。
夕刻、空路にて、黒海より北上し、ウクライナの森の中の都会、キエフへ。


4日目
終日キエフ観光(午前中、ウラジーミルの丘 と ドニプル川、ソフィア大聖堂、黄金の門、アンドレイ教会と露店で賑わうアンドレイ坂など。午後は、洞窟修道院から発展して、現在ユネスコの世界遺産に登録されているペチェルスカ大修道院見学)。

5日目
午前中、空路にて、ロシアの美しい都 サンクト・ペテルブルグへ!
午後、エルミタージュ美術館の見学。
夜は、バレエ鑑賞などはいかがでしょうか?
宿泊は、ドストエフスキーの「罪と罰」をモチーフとした、ユニークなホテル、
「Reval Hotel Sonya」がお勧め。

6日目

午前中、郊外プーシキン市のエカチェリーナ宮殿見学。
午後、空路にて、ロシアの首都モスクワへ。

7日目
午前中クレムリン見学。ロマノフ王朝の宝物殿、武器庫も訪れましょう。
夕刻、空路にて帰国の途へ!

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いかがですか?ウクライナと聞くと、「いったいどうやって行ったらいいの?」と思いがちですが、ロシアの2都市と組み合わせれば、かつて同じ国であり、いまや経済大国と農業大国となり、それぞれの色合いを強め始めた2つの国を比べて見ることができるのです。
チェーホフ生誕150周年のこの年、皆さんのご旅行プランにぜひ加えてみてはいかがでしょうか?

05_20100203162650.gifキエフ、クリミアの観光地については、こちらもご参照ください。

 

チェーホフの足跡を辿る日程を考えた人/アリョーシャ /東京オフィス


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チェーホフ生誕150年、そして ウクライナ(前編) 

チェーホフはイケメンだった
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メガネの奥には優しいまなざし、背が高くスマートな容貌は今日ならば正にイケメン、若い女性たちの追っかけもそれは大変なものであったというチェーホフ、皆さんはその作家チェーホフをご存知でしょうか。
例えば「孤独が怖ければ結婚をするな」(チェーホフの手帖より/ 神西清 訳)というような簡潔ながらも含蓄のある表現に興味を持たれている方もいるかもしれません。
或いは、「犬を連れた奥さん」、「ともしび」を始めとした数多くの中短編小説や「タバコの害について」、「かもめ」、「ワーニャおじさん」、「三人姉妹」、「桜の園」といった戯曲の面白さにとりつかれた方もいることでしょう。
チェーホフの胸像(ヤルタのチェーホフの家)
チェーホフの胸像(ヤルタのチェーホフの家)

追っかけ女性の一人から贈られた犬の置物
追っかけの一人の女性から贈られた あまり可愛くない犬の置物。
ヤルタにあるチェーホフの家、玄関のドアを開けると右手に見えるが、
チェーホフもすぐにこの置物のことを忘れてしまい、
家に入る毎に暗がりの脇に置かれた犬にギョッとしたと言われています

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若き頃から苦労を背負い、人間のおかしみ、悲しみ、狡さを、鋭い観察力を持って冷静な眼差しで描き、ユーモアを漂わせた洞察力に満ちた作品の数々を残したアントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ。医者としての面倒見の良さ、思いやりの深さは人一倍ながら、持病の結核には勝てず44歳で世を去ったこのロシアの作家は、今からちょうど150年前の1860年に生まれました。
20代30代で読んで得た印象もさることながら、私は、この作家よりもさらに長生きをして作品を読み直してみた時に感じたことがあります。チェーホフの作品は、どのような世代であろうとも、向き合った者が得られるのは、その歳に応じた感慨に違いありません。
左右非対称の家
チェーホフの家・外観。
当初、建築家は左右対称の建物を思い描いていたようでしたが、
人生はスムーズではなく起伏のあるものというチェーホフの考えで、
対称形をくずしたスタイルにしたそうです


造園に力が注がれたのがわかる
「僕は作家になっていなかったら庭師になっていた」 と言う
チェーホフだけのことはあり、その庭の中心を流れるせせらぎ、糸杉、
椰子、ユーカリといった南国の木々、白樺やポブラ、桜、そしてバラ、
という造園にかける力の入れようをうかがい知ることが出来ます

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チェーホフ記念の年とあって、書店ではその翻訳作品が書棚に目立ち始めていますが、ちくま文庫、岩波文庫、新潮文庫で読むことの出来る中短編小説のお薦めは、松下裕氏の翻訳です。日本では、幾つかの偏った情報が、かの国の一般の人たちの暮らしについての理解を歪めていたと言える40年以上昔のソ連邦の時代、松下氏は、モスクワのプログレス出版社に勤めることとなりました。その娘さんの友子ちゃんがロシア人の中に入って通っていた幼稚園、小学校での生活は「さよならモスクワの小学校」(松下友子著、筑摩書房、その後中公文庫)、「子供のモスクワ」(松下恭子著、岩波新書)に生き生きと描かれて、ベールに包まれた壁の向こうということで外からは画一的にとらわれがちであったロシアの人々との関わり、その人間味豊かな市民生活の紹介がなされたものでした。
私は、当時そのご家族と知り合う機会を得て、30年前には裕氏とモスクワ・オリンピックのサッカー決勝戦を共に観戦するなどしておりました。
その松下裕氏が日本に帰国して後、1980年代後半にチェーホフ全集個人訳を成し遂げて筑摩書房から出版、本年80歳を迎える今日に至るまで自身の翻訳に加筆し磨きをかけて、手軽にチェーホフを手に取ることが出来るように文庫本を次々と出しているのです。その訳文はチェーホフの原文の美しさに迫る見事な成果であり、氏のロシアでの長年の生活経験が滲み出ていると言えます。皆さんも、ぜひ、松下裕氏の訳で、チェーホフの作品に触れてみてください。

松下裕さん訳のチェーホフ作品はこちら!



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さて、話をチェーホフ自身に戻しましょう。チェーホフの足跡を辿ろうと思ったら、ウクライナははずせません。ウクライナでありながらロシアの歴史と文化の発祥の地である、首都キエフ、そして、チェーホフが晩年をすごした黒海の保養地ヤルタを旅する際は、是非チェーホフに思いを馳せて頂きたいものです。次回後編では、皆さんがウクライナにお出かけになる際のご参考になるよう、お勧めの日程をご案内したいと思います。

 

チェーホフとウクライナについて書いた人/アリョーシャ /東京オフィス



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クリミア~秘境を訪ねる旅~(後編) 

お待たせしました!クリミア~秘境を訪ねる旅~(後編)です。
ここでは、ヤルタの海岸風景から一転して、山間部の絶景をご紹介します。

~クリミア山脈 アイ・ピテリ山~

クリミアには、黒海とクリミア山脈が織り成す絶景がたくさんありますが、その中でもヤルタ郊外のアイ・ピテリ山はロープウェーで標高約1000メートルの山頂まで行けるので、おすすめです。ここから眺める岩山と海は最高です。
アイ・ピテリ山と海
アイ・ピテリ山と海

アイ・ピテリ山の山頂では、気候・風土・民族すべてが麓のヤルタとは違い、まるで別世界に足を踏み入れるかのようです。タタール系の人々が多く住んでおり、羊の放牧で生活しているのです。

羊肉のシャシリク(バーベキュー、串焼き)を試してみてはいかがでしょうか?

~クリミアに散ったタタールの夢、バフチサライ~

16世紀~18世紀までクリミア・タタールの首都が置かれていたバフチサライは、シンフェローポリから車で1時間弱のところにあり、むき出しの岩山が連なる谷の麓にある街です。クリミアはタタール人、ウクライナ人、ロシア人など現在でも様々な民族が住む地域ですが、バフチサライは、タタール系の人たちが多く、料理も羊がメインのタタール料理、ヤルタとは全く異なるエキゾチックなところです。

バフチサライの見所は、16世紀に建てられた「ハーンの宮殿」。
モンゴル・トルコの交じり合った独特のオリエンタル・スタイルのこの宮殿は、外観も内装も落ち着いた優雅なつくりになっています。ロシアの鮮やかさ、トルコのエキゾチックさとはまた違ったシックな色使い。四方を岩山に囲まれているせいか、どことなく儚げな雰囲気が漂っているのです。
ハーン宮殿入口
ハーン宮殿入口

それを象徴するのが、宮殿内にある噴水です。クリミア・タタールの最後のハーン(王)が亡くなった愛人を偲んでつくった噴水で「涙の泉」と呼ばれています。ハーンが悲しみのあまり、「石にも涙を流させよ」と命じてつくられたこの「涙の泉」は、後年ロシアの文豪プーシキンがこの地を訪れた際に、『バフチサライの泉』をして詩に詠ったことで有名になりました。
涙の泉
感動的エピソードを持つ噴水「涙の泉」

「涙の泉」にまつわるエピソードもさることながら、1917年ロシア革命に乗じてタタール人たちがクリミア共和国の独立宣言をしたものの革命軍に一蹴されてしまったことなど歴史的背景もあり、現在のハーン宮殿はクリミアに散ったタタールの儚い夢を今に伝える貴重な場所なのです。

~クリミアの中心で愛を叫ぶ、チュフト・カレ~

バフチサライのハーン宮殿から2キロ、車で10分ほどのところに、岩山の中につくられた修道院「ウスペンスキー寺院」へ至る散歩道があります。
ウスペンスキー寺院入口へ上る階段
ウスペンスキー寺院入口へ上る階段

坂道を20分ほど登ると、岩壁に掘られたキリストや聖人の姿がみえてきます。階段を登り、岩を掘ってつくられた洞窟の修道院の中へ入ると、そこは蝋燭であかりをとった礼拝堂があります。洞窟の中の祈りの場所、それはタタール(イスラム教徒)やソ連に迫害されながらも、守り続けられてきた神聖な祈りの場所なのです。
ウスペンスキー寺院
ウスペンスキー寺院

このウスペンスキー寺院は、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)がこの地を支配していた8世紀~9世紀につくられたといわれ、東方正教会の寺院です。クリミア・タタールの支配下に入った後も、この地の正教会の中心として機能してきました。1921年に一旦閉鎖されるものの、現在に至るまで訪れる信者は後をたちません。

そのウスペンスキー寺院を後にし、さらに山道は続きます。
30分以上登ると、高度があがるせいか、高木が少なくなり、岩山の頂がみえてきます。
このあたりになると、かなり急な登り道になります。

そして頂上の近くにくると、その岩山が要塞のように堅固な壁となっているのに気づくでしょう。その入口がチュフト・カレ。
チュフト・カレの外壁
チュフト・カレの外壁

チュフト・カレは、海抜540メートルにある、6世紀頃にできた洞窟の住居跡で、1世紀にはすでにクリミアに移動してきたといわれるユダヤ人の集落だったといわれています。チュフト・カレとは、「ユダヤの要塞」という意味です。昔から戦争が絶えることがなかった土地柄、住民が騒乱から逃れるシェルター的役割を果たしていたのでしょう。実際に19世紀までは人が住んでいたそうです。
19世紀までは人が住んでいたという「チュフト・カレ」
19世紀までは人が住んでいたといわれる「チュフト・カレ」

洞窟の住居跡を抜けると、すばらしい光景が広がっています。

それがボリショイ・キャニオン。

ボリショイはロシア語で大きいという意味なので、ずばり「クリミアのグランド・キャニオン」といってもいいでしょう。
眼下に広がる深い渓谷、そして絶壁の彼方に見える青い海(写真ではわかりにくいですが)。言葉にならない感動が湧き上がります。
ボリショイ・キャニオン
クリミアのグランド・キャニオン!「ボリショイ・キャニオン」

「世界の中心で愛を叫ぶ」という映画が数年前に大ヒットしましたが、まさにここは06.gif「クリミアの中心で愛を叫ぶ」
クリミアの大自然を堪能てきるこのボリショイ・キャニオン、少し時間はかかりますが、バフチサライを訪れた際には、ぜひ足を運ぶことをお勧めします。

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レポート by マリー /モスクワオフィス



クリミア~秘境を訪ねる旅~(前編) 

クリミアってどんなところ?
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クリミアと聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょう?
モンゴルに支配されクリミアハン国、クリミア戦争でのナイチンゲールの活躍、1945年のヤルタ会談が行われたところなど、世界史に何度も登場する有名な場所と記憶している方が多いと思います。

黒海に面したクリミア半島は、その面積の多くを山・丘陵地帯が占めており、美しい海と山に囲まれ、1年を通じて温暖な気候に恵まれたところです。

地理的に東西行路の重要な場所であったことから、ギリシャ・ビサンチン・モンゴル(タタール)・ロシア・ソ連など様々な国に支配され、侵略と攻防の歴史が繰り広げられてきました。

それ故、クリミア半島に住む人々も、ロシア人、タタール人など多数の民族から成っており、
それぞれの生活スタイルが融合し、独特の文化を生み出してきました。その痕跡を今でも辿ることができます。

クリミアの陸・空の玄関口は、シンフェローポリ。キエフやモスクワなど周辺の大都市から飛行機・列車でシンフェローポリへ入り、その後クリミア各地へはバスや車で移動します。

~クリミアの真珠、ヤルタ~

シンフェローポリから車で約2時間のところに位置するヤルタは19世紀はじめからロマノフ王朝の皇帝・貴族たちの保養地として、発展してきました。彼らによって建てられた宮殿がいくつも残っています。

06.gifリヴァディア宮殿

その中でも有名なのが、ニコライ2世の別荘として20世紀初めに建てられたリヴァディア宮殿。1945年2月、第2次世界大戦後の世界構想について話し合うため、アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンが極秘で集まった「ヤルタ会談」は、まさにこの宮殿で行われました。1階はヤルタ会談の様子が再現されており、戦後60年以上たった現在でも緊迫した雰囲気が伝わってきます。また2階はニコライ2世とその家族の写真やインテリアが飾られており、ロマノフ王朝黄昏の栄華に思いを馳せることができます。
006_Livadia hall
「ヤルタ会談」が行われた部屋

06.gifヴォロンツォフ伯爵のアルプカ宮殿
19世紀半ばにイギリス人建築家によって建てられたこの宮殿は、山側はイギリスのチューダー調、海側がアラビア調の外観で、見事にヤルタの海・空・山に融合しています。宮殿内もそれぞれ特徴をもったスタイルで統一された豪華な部屋が多数みることができます。見所はやはり宮殿から望む庭と海の絶景です。咲き誇る花々、果てしなく続くブルーの海。訪れる人を魅了してやみません。
ヴォロンツォフ伯爵のアルプカ宮殿
アルプカ宮殿海側の景色

06.gifツバメの巣

ヤルタのシンボル的スポット。1912年にドイツ人の貴族によってヤルタの海岸沿いの崖に建てられたお城です。写真ではご紹介できませんが、海から臨む「ツバメの巣」も絶景です。お城の内部は現在、高級なイタリアン・レストランになっています。
ヤルタのシンボル的スポット・ツバメの巣
ヤルタのシンボル的スポット・ツバメの巣

06.gifチェーホフの家博物館

作家アントン・チェーホフもヤルタをこよなく愛し、19世紀末にヤルタを舞台にした「犬を連れた奥さん」という小説を執筆しています。またチェーホフが住んでいた別荘も、現在博物館として公開されています。病弱だったチェーホフが、温暖な気候、美しい海、澄んだ空気の中で、いかにインスピレーションをかきたてられたかを知ることのできる、貴重なスポットです。
チェーホフの家博物館
チェーホフの家博物館

06.gifヤルタの町

現在のヤルタは、ロシア人、ウクライナ人の新たなリゾート地として観光化がすすみ、メインストリートの「レーニン海岸通り」には有名ブランドショップやお洒落なレストランが立ち並んでいます。
ヤルタの港
ヤルタの港

それとは別に、昔ながらのあらゆるものが手に入る市場や、シャウルマ(薄いパン生地にサラダと鶏肉を包んだロシア風ケバブ)やアイスクリームが売っている屋台、山の多いこの街の重要な足であるトロリーバスなど、以前とは変わらない光景もみられます。
ヤルタのメインストリート・レーニン海岸通り
ヤルタのメインストリート・レーニン海岸通り

ヤルタは、どこへ行っても美しい海と山が臨め、開放的な雰囲気を味わうことができます。地元の人たちも、キエフやモスクワの人とは全然違った穏やかな表情をし、流れゆく時間に身をゆだねて、生活している様子がうかがえます。

レポート by マリー /モスクワオフィス


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いかがでしたか?クリミアにはこんなに心癒される風景があります。
後編では、さらに感動的な絶景をご紹介いたします。ドキドキしますね!
お楽しみに!

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「ロシア」のルーツ?!ウクライナの首都・キエフを訪ねて 

「ロシア」のルーツは、キエフにあり
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ウクライナの首都キエフといっても、私たち日本人には馴染みの薄い地名かもしれません。

キエフは現在人口300万人弱の大都市で、すでに5世紀にはこの地域の交通の要として機能していたといわれています。9世紀に、ノヴゴロド公がキエフを征して、キエフを中心に国をつくったことから、キエフ・ルーシ(現在のウクライナ)の歴史が始まりました。

ロシア、ベラルーシ、ウクライナの人々は、スラヴ民族の中でも「東スラヴ人」と呼ばれており、彼らの初の国家がキエフ・ルーシでした。

つまり私たちがイメージするいわゆる「ロシア」のルーツは、キエフにあるといっても過言ではないのです。

今回は、東スラヴ人の源、古都キエフについて紹介します。

キエフは大都市ですが、見所はドニプル川西岸中心部に固まっているので、基本的に徒歩でまわることができます。主な見所を訪れてみましょう。

05.gifペチェルスカ大修道院
キエフ観光の最大の見所・ペチェルスカ大修道院は、東スラブの正教会の中で最も古い修道院のひとつであり、ウクライナ・ロシアを含めた東スラブ正教の最初の総本山でした。11世紀にギリシャの僧侶たちが、ここに洞窟を掘って修道生活をはじめました。彼らの死後も、後継者たちが洞窟を掘り進め、信仰生活を続けたことから、「洞窟の修道院」と呼ばれるようになりました。

現在、この大修道院は、入口から主要な教会が立ち並ぶ「上の修道院」と、洞窟のある「下の修道院」のふたつの部分からなっています。

まず美しく華やかなフレスコ画で埋め尽くされた「聖三位一体教会」の入口を通って、修道院へ入場します。ここから「上の修道院」の始まりです。
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華やかなフレスコ画が美しい「聖三位一体教会」の入口

敷地内へ一歩入ると、黄金の屋根をいただくウスペンスキー大聖堂と鐘楼が目に入ります。そのほかトラペズナヤ教会、現在は博物館になっている数々の建物が立ち並んでいます。ウスペンスキー大聖堂は第2次世界大戦で破壊されたため、近年再建された新しいものですが、そのほかは18世紀に建てられたものです。
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ウスペンスキー大聖堂

各教会内のフレスコ画やイコンもすばらしいですが、各博物館も見応えがあります。とくに「歴史文化博物館」の1000年以上前の装飾品、また「民族装飾美術博物館」のウクライナの民芸品は、必見です。

「上の修道院」をじっくり見学した後は、標識に従って「下の修道院」へ行きましょう。
石畳の急な坂を下っていくと、入口がみえてきます。

ここからは、華やかな「上の修道院」とはがらりと様相を変え、厳かな雰囲気に包まれます。この修道院の原点となったこの洞窟で信仰生活を行った修道僧たちは、皆、洞窟内で亡くなり葬られているため、そのお墓も洞窟内にたくさんあります。
「下の修道院」入り口
「下の修道院」入り口

ここは、「近い洞窟」(=短い洞窟)と「遠い洞窟」(=長い洞窟)に分かれており、至るところにお墓や礼拝所がありますが、現在、ウクライナ各地から巡礼に来る正教信徒やツーリストのために見学通路が整備されています。お墓は、ミイラ化した僧侶に聖衣が着せられ、棺に入れられているもので、ガラス越にご遺体を見ることができます。

ろうそく(有料)をもって、男性は脱帽し、女性は頭と腰にスカーフ(入り口で貸し出し)を巻きつけ、見学ルートに沿って洞窟に入りましょう。

1000年近く前から、修道僧たちが祈りを捧げてきた聖なる場所。300年にわたるタタール支配、ソ連時代の圧政などの歴史を重ねて思い浮かべると、より一層感慨深い気持ちになるでしょう。

このペチェルスカ大修道院は、キエフ最大の観光名所でもありますが、ウクライナ正教の総本山として現在も活動しており、ウクライナ各地からの信者もたくさん訪れます。ここはウクライナ人にとって「聖地」です。見学の際は、信者の方の祈りの邪魔にならないように、気をつけましょう。

また、敷地が広いので、カフェやお土産屋、有料トイレもあります。教会、博物館、洞窟など見所がたくさんありますので、ゆっくり時間をとって見学してみることをお勧めします。

05.gifウラジーミル聖堂
ペチェルスカ大修道院から地下鉄に乗って、2駅目「ウニヴェルシテト」で下車すると、タラス・シェフチェンコ通りにでます。公園を右手に歩いていくと、クリーム色の教会がみえてきます。これがウラジーミル聖堂。外観はごく一般的な正教会の教会ですが、見所は中のフレスコ画です。19世紀末のロシア・アールヌーヴォーを代表する画家、ヴィクトル・ヴァスネツォフやミハイル・ヴルーべリが描いた華麗なフレスコ画は、伝統的なイコンや正教のフレスコ画とは少し異なったフォームと色彩から成っており、非常に見応えがあります。
絵画のようなイコンが美しいウラジーミル聖堂内部
絵画のようなイコンが美しいウラジーミル聖堂内部

05.gif黄金の門
11世紀後半に城壁の門としてつくられ、当時は門の上のドームが金色に輝いていたことから、「黄金の門」と呼ばれるようになりました。

当時の門跡を保存するために、現在は新たにそれを覆う門?のような建物がつくられたため、実際に足を運んでも、よくわからないかもしれません。ですが、現在は街の中心に位置するこの場所が、当時の大国キエフ・ルーシの玄関口でした。1000年を経て、キエフがいかに大きな都市となったか、想像がつくことでしょう。
往年は黄金のドームが輝いていた「黄金の門」
今でこそわかりにくいが、往年は黄金のドームが輝いていた「黄金の門」

05.gifソフィア大聖堂
「黄金の門」を左手に、ウラジーミル通りを進むと、広場に面してソフィア大聖堂がみえてきます。入口は水色の高い鐘楼。ソフィア大聖堂は現存するキエフ最古の教会といわれており、1037年に建てられたといわれています。現在の教会は17世紀に再建されたものですが、外壁の一部と内部は11世紀当時のまま、残されています。とくに内部のフレスコ画とモザイクは圧巻。中央に描かれたキリスト像は1000年の時を経ても変わらない輝きを放っています。
現存するキエフ最古の教会
現存するキエフ最古の教会といわれるソフィア大聖堂

05.gifアンドレイ坂
ソフィア大聖堂前の広場をさらに先に進んで交差点を渡ると、その先の道に露店が立ち並んでいるのが見えます。この通りとつきあたる通り「アンドレイ坂」は、キエフ随一の「蚤の市」で、画家が自分の絵を売っていたり、食器などの日常生活品のほか、ツーリスト向けに伝統的なマトリョーシカや琥珀の他、写真にあるようなきのこ・ひまわりなど、ウクライナの名産を飾りにつけたお人形、ブローチなども売られています。見て回るだけでも、あっという間に時間が過ぎてしまいます。色々なお土産を、楽しく探してみましょう。
キエフ随一の蚤の市「アンドレイ坂」
キエフ随一の蚤の市「アンドレイ坂」

05.gifアンドレイ教会
アンドレイ坂にあるアンドレイ教会は、ブルーの気品のある建築で目をひきます。それもそのはず、サンクトペテルブルクのエルミタージュを設計したイタリア人建築家ラストレッリが、18世紀半ばにロマノフ王朝のエリザベータ女帝の命によって手がけたもので、内部の繊細な装飾も必見です。
ラストレッリが手がけたアンドレイ教会
ラストレッリが手がけたアンドレイ教会

05.gifウラジーミルの丘
ドニプロ川沿いに広がる森林、そこに照り輝く金色の教会の屋根は、森の都キエフを象徴する風景です。。この風景を一望できるのが、ウラジーミルの丘。この丘から臨めるドニプロ川の雄大な流れと森とキエフの街並は、感動的です。
ウラジーミルの丘から望むドニプロ川
ぺチェルスカ修道院から望むドニプロ川

05.gif独立広場・フレシチャーチク通りウラジーミルの丘でキエフを一望した後は、丘を下り独立広場へ。どの道からも下っていく方向が独立広場になりますので、迷子になる心配はありません。独立広場はいくつもの噴水とウクライナ独立記念碑があり、キエフの街の中心広場となっています。そこを通って、キエフのメインストリート「フレシチャーチク通り」を散策しましょう。ウクライナで一番の繁華街なだけあり、夜遅くまで行き交う人が絶えません。各店も比較的遅くまで開いています。お勧めは、ベッサラブスキー中央市場。ベッサラブスキー中央市場
賑わうベッサラブスキー中央市場

ここでは、あらゆる食料品が売られており、ウクライナ名物の豚の脂身サーロもここで試食できます!
ウクライナ名物、サーロも試食できる!
ウクライナ名物、サーロも試食できる!
脂肪分が高いので、お腹をこわしやすい方は、ご注意ください。

また、ウクライナ料理を気軽に楽しみたいなら、セルフ・サービス形式のレストラン「プザタ・ハタ」がおすすめです。フレシチャーチク通りだけでなく、街中に何軒もあるチェーン店ですので、ぜひ一度は足を運んでみるといいでしょう。

このように1日で全部まわると、少々慌しくなってしまいますが、キエフは街全体が美しく、ただ歩いているだけでも色々な発見があります。
ご自身のスケジュールやコンディションを考えて、「東スラヴ人のルーツを辿るキエフの旅」を楽しんでみてください。

キエフ(ウクライナ)への個人旅行手配はネットトラベルサービスにて承ります

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